ベルカントとは?
音楽に詳しい人なら「ベルカントって、歌の発声のことじゃないの?」 と思うかもしれません。しかしベルカントは 単に発声の一方法ではなく、西洋音楽全ての根底に内在する理念を指しています。 音楽を一つの言語だとすると、ベルカントはその文法にあたります。 文法無しで外国語が学びにくいのと同様、ベルカントの理念を知らないと、 音楽の学びに限界が出来てしまいます。西洋音楽は私たちにとって外国文化だからです。
直訳するとイタリア語で「美しい歌」の意。音楽用語はイタリア語が多いですね。 それは、今現在クラシック音楽と呼ばれているものの、 作曲法、演奏法、美意識など様式を決定している要素の多くがイタリア起源だからです。 当時イタリアのやり方がとても理に叶った素晴らしいものだったので、 バッハもモーツァルトもベートーヴェンもイタリアの先生のやり方を見習い、その手法で 自分の音楽を書きました。だから今のクラシックの源流はイタリアと言う事も出来ます。 実は彼ら大作曲家たちがイタリアから学んだ作曲法や様式のもとになっている美意識が ベルカントなのです。音楽の背景に存在する、西洋的価値観、徳といった文化的なものの 集大成がベルカント、と伝統的に位置付けられています。 つまり彼らはベルカントの理念で作曲し、今もそれが演奏されている。 シューマンのように「私はベルカントで作曲している」とはっきり書き残した人もいますが、 西洋音楽は全てベルカントなので、あえて言う人は少ないです。
ちなみに、前述の「ベルカント唱法」という狭義の発声法の事でも、日本では「古い時代の発声」とか「ベリズモはベルカントの否定の上に成立」などと言われていますが、それは狭い認識です。 根底にベルカントという完成されたものがあるからこそ、その上に発展的に新しいものが成立できた、と考えるべきでしょう。 バロックの後に古典時代があり、またその後ロマン派に発展したのと同じ事です。 西洋音楽は歴史の積み重ねですから、根底にあるものを知り、 一つの文化として体系的な理解をすれば、演奏をゆるがない確信で支えることができます。
日本では文化的身体的な差異が壁になり、ベルカントの理念が見落とされてきたので「ベルカントな弾き方」という考え方がありません。それはしばしば「カンタービレな弾き方」と混同されます。
そこで私は、日本で一般的に考えられている歌うような弾き方と本来の形を区別する為に「ベルカント奏法」または「ベルカントを実現する為の奏法」と呼んでいます。
習得手順キーワード集
第 一 課 程 (楽器と奏者の一体感を作る) 日本と外国との文化的身体的差異のギャップを埋める ・息を使う楽器と同じ原理で音が出せる体の使い方を覚え、自分の声として音を扱えるようにする ・ピアノにおけるコルポとは ・音楽の「下書き」あるいは.デッサンとは ・息としての力を「溜める」「集める」事と「脱力」の関係 ・音の聞き方と身体感覚 なとを曲の中で実際に使えるようにしていきます
第 二 課 程 (音楽と楽器と奏者の3つ一体感を取る) 音楽への呼吸の通し方(息の通った音楽とは) ・作曲家別の音色と音楽の作り方 ・腕と手の甲の脱力と、力との関係 ・色々なタッチ ・フレーズ、形式のベルカントな処理 ・曲の中での息の配分 ・時代別、国別の表現の差異をつかむ・演奏におけるラグランジュポイントとは
第 三 課 程 (技術と心の一致) 各国伝統の口伝の技を覚え、それを自由に使って多彩な表現を ・一つ一つの技を使いこなすことでやりたい表現が可能になり、演奏の幅が広がる ・ロシアのシコーラを中心に指で音楽を言葉のようにしゃべる
第 四 課 程 息としての力を使い、最小の力で最大の効果の出る力配分を各人の利点を活かしながら様々なタイプの曲で応用力をつける
第 五 課 程 各人が全体的バランスの中でベストな状態に自分で修正する方法。また演奏会前後など、必要に応じて調整します。
第 六 課 程 (ベルカント・メソードを使った指導法の伝授) どの段階で何を生徒に伝えると指導効果が高くなるか、また演奏中、生徒の体と頭の中で何が起きているかを把握する。 指導手順とこのメソード全体を指導者がどこまで把握しているかが大事です。 今やっている曲だけではなく、長い目で見た生徒の成長過程の中で、このメソードを利用する、その姿勢が指導力につながります。
第 七 課 程 以上 その人の持つすべてが、トータルにバランスよく演奏に反映するために必要なこと、感性、技術、知識など、あらゆる角度から音楽への問いかけをして、自分の言葉として演奏する姿勢を学びます。 この姿勢は演奏者である以上、生涯必要なことです。